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こんばんわ、kazuです。

カジノ法案がついに成立しましたね。結構前から話題に出ていて、正直「やっとか」という感じですけどね。

日本にカジノができることで、打撃を受けるのではないかという産業があります。それが「パチンコ(パチスロ含む)」です。

かねてよりカジノ法案とパチンコ屋の関係性は色々と言われていました。

今回はそんな2つの似て異なるものについて語っていきましょう。

カジノ法案とは?

カジノ法案とは、これまで日本には存在しなかった「カジノ」を作ろうという法案です。

狙いは完全にアレです。東京五輪で大勢の外国人が日本に訪れる際に、その「お・も・て・な・し」のために作られるのでしょう。

そこで外国人を充分楽しませて、五輪以降も日本に来てもらおうという浅はかな狙いが見え隠れしていますね。

あくまで外国人観光客向けであり、日本人の娯楽施設目的ではありません。

なぜ法案が作られたかというと、日本では本来「賭け事」は法律で禁止されています。

例外として国営ギャンブルである「競輪」「競艇」「競馬」だけが認められているのが現状です。

ん?パチンコは?って?もちろん認められていませんよ?

パチンコ屋は「換金」することが出来ないのでギャンブルではありません。詳しくは「三店方式」で調べて下さい。

その「ギャンブル禁止」の国にカジノを作るための法整備、それが「カジノ法案」です。

カジノ法案成立でパチンコ屋はどうなる?

カジノ法案の話が出た当初より、可決のためにパチンコ屋の存在が邪魔だと言われていました。

理由については大人の事情が大きく関係しているため詳しく書くと眠くなってしまうので割愛しますが、昔からパチンコやスロットを嗜む紳士淑女は感じているでしょう。

2000年代前半にスロット人気に火が着き、空前の大ブームが起こりました。パチンコ産業は非常に活気付き、一大産業へと発展を遂げます。

その全盛期に比べ、現在では規制規制の連続でブームも下火に。現在のパチンコ産業にはかつての半分も勢いはありません。

その裏には「カジノ法案成立」のための策略があったわけです。

さらには出玉規制に留まらず、暗黙の了解だったはずの「三店方式」に警察が切り込むような場面もありました。

おそらく今後は縮小の一途、いずれは全てなくなると思われます。

補足
この記事を書いている最中、菅官房長官から「パチンコをギャンブル性のない形にする」との発言がありました。この発言の意図はおそらく「換金禁止」であり、暗黙の了解であった三店方式での換金すら認めなくするという事実上の「死刑宣告」でしょう

パチンコの思ひ出

かく言う私も今でこそ月に1、2度しか行きませんが、かつては毎日のように通うスロッターでした。

パチンコやスロットに関しては、「やるよりはやらない方が断然良い」と思っています。

私自身は完全に趣味と割り切っており、負けて困らない金額を使って楽しんでいます。大体の趣味って、金がかかって戻りなんてないじゃないですか。それと同じです。

最近は昔に比べ勝ち辛くなっているように感じます。そりゃそうだ、店側の売上は確実に落ちている訳で、その分客に還元できる金額も下がります。

もうかつての盛況はどこでも見られません。

かつてのパチンコ屋には、確かに夢があったんだ

以下、完全な私の語りに突入いたします。「そんなこと興味ないや」って方はそっと閉じて下さい(笑)

あ、他の記事を読んで行ってくれたら嬉しいです。

私と同じく、終わりゆくパチンコ産業に思いを馳せ、かつての栄光を懐かしめる方はもう少しお付き合い頂けると幸いです。

4号機最初期

私がスロットを初めて打ったのは今からちょうど20年程前。当時17歳だった私は友人に連れられ初めてのパチンコ屋へ。(年齢については時効でお願いします・・・)

まだデータ表示器すらないパチンコ屋で、右も左もわからず座った台は「THUNDER」でした。

何気なく選んだこの台ですが、思い起こせばスロットの歴史を最初に変えたと言っても過言ではないほどの「時代の名機」でしたね。

今では「射幸心ガー」なんて言われてしまう「音と光での演出」、その走りだったのではないでしょうか。

初めて打ったこの台ですが、目押しもできない私は当然何が面白いのかわけわかめ。それでも友人の付き合いで何度か打ちに行き、その楽しさもわからないまま高校を卒業。そして東京へ。

生まれ育った土地から1人離れ、休みの日にはどこへ行ったらいいのかわからずに自然と足が向いたのがパチンコ屋でした。

すでにTHUNDERの時代は終わっており、私は次なる台を選択。この頃の私は無知も合間って(設定の概念すら知らなかったと思います)1機種を執拗に追い回す立ち回りでした。選んだ台は「アステカ」です。

THUNDERに続いて時代の名機であるアステカを選ぶあたり、「僥倖っ・・・まさに僥倖・・・」と言いたいところですが、単純にこの時代は機種の種類が少なく、名機と呼ばれるものが多かった。当然思い出補正もあっての美化でしょうけどね。

このアステカの「CT」という機能に魅せられ、次第にスロットにハマっていきました。

ちなみにこの後「NJ」というアステカの亜種のような台が登場し、一瞬で消えて行くのですがなぜか私はこの台が大好きでした。後述する「スロットオブマイライフ」の候補に上がるくらいに。

ついに「アイツ」がデビュー。スロットブームの到来

休みの日はパチンコ屋へ行くのが習慣となっていた私。アステカのCTで目押し力も鍛えられ、この頃次第に増えていた「攻略誌」からスロットの知識もそれなりに身についていました。

そんな時に導入されたのがそう、「獣王」です。一大スロットブームの火付け役であり、その名の通りスロットの王者と言っても過言ではありません。パチンコ業界1番の分岐点は間違いなくこの獣王のデビューでしょう。

新システム「AT(アシストタイム)」である「サバンナチャンス」を引っさげ、ほとんど全てのスロッターを魅了し、多くのビギナーをスロットの世界に巻き込んだこの台に、当然私ものめり込みました。

余談ですが、この獣王がAT機の始まりと勘違いしている人がかなり多いです。実際にATを初めて搭載したのは「ゲゲゲの鬼太郎」ですよ。(赤い筐体でなく黒い筐体の方)

獣王と違いATはあくまでおまけで、どちらかというとCTのポジションに近かったと思います。あまり流行っていなかった印象ですが、そのATをサバチャンへと昇華させ獣王を生み出したサミーはさすがとしか言えません。

しかしこの獣王。全然勝てねぇ(笑)

それまでは技術のある打ち手が設定6で良い波に恵まれたら手が届いた「万枚」という頂きへ、割とあっさり届いてしまうのがこの獣王を初めとするAT機(鬼太郎はAT搭載ですがAT機という括りは獣王からと解釈しています)

当然その分、出ない時の吸い込みはマジ半端ないっす。完全にそれまでの4号機とは別物。スロットの常識が全く通用しませんでした。

続々と出てくるAT機

全然勝てない獣王との奮闘を繰り返す中、大ヒットした台ですから類似台が出始めます。時代は「AT機全盛期」に突入していきます。

「サラリーマン金太郎」「アラジン」「爆釣」などなど・・・上げだしたらキリがないほどのAT機が登場します。

サミー系のATはそこそこ打ち込んだ私は、獣王での完敗を糧にAT機の戦い方を身に付けていきました。サラ金やアラジンはかなり打ちましたが、収支はプラスであったと思います。獣王も含めると多分マイナス。

そんな星の数のAT機の中で、私の心を掴んで離さなかった機種があります。それがアルゼの「コンチXXXX」です。

アルゼと言えば・・・

スロットメーカーの老舗であり、ラスベガスへスロットを出荷していたこともある日本の企業。スロットを打たない人でも当時「親指から始まるエンターテイメント、アルゼコーポレーションがお送りします」というテレビのスポンサーコールを憶えている人は多いんじゃないでしょうか。スロットと同じく当時ブーム真っ只中だった格闘技系の番組に多かったです。 

この頃のスロットは液晶が当たり前の時代になってました。そんな中、時代を逆行して「ハチマキリール」のみを搭載したコンチXXXXには並々ならぬこだわりを感じたなぁ。

スペック的には「全てをATに集約させた台」です。詳しくは割愛しますが、BIGもREGもATがあって初めて輝く、そんな1台でした。

神の降臨によりブームは最高潮、そして終焉へ・・・

スロットブームを巻き起こしたのは完全に「AT」という概念でしょう。そしてその始まりの象徴が「獣王」であるなら、終わりの象徴は間違いなくこの台でしょう。「ミリオンゴッド」の登場です。

「100万神」の名を冠したこの台は、その名の通り「100万円勝てる」台でした。枚数にすると等価交換で5万枚です。完全に異常な出玉ですね。

私の記憶の中で、それだけの幸運を持ってしても5万枚出せる台はこのミリオンゴッドの他には前述のアラジンAしかありません。

しかし両者で圧倒的に違うのが、そこまでのハードルの高さ。理屈上5万枚出せるとはいえ、アラジンAで5万枚出たというのは見たことがありません。

一方でミリオンゴッドについては、5万枚どころか7万枚までなら何度かあります。それだけハードルが低いということですね。

しかし強烈な出玉を誇るということは、その分吸い込みが激しいということ。リターンが大きい分、リスクも大きくなるわけです。

それを理解せずに出玉ばかりを追いかけることで、使ってはいけないお金に手をつける人や借金を抱える人などが増えていきました。もちろんそれまでのスロットやパチンコでもそういう人はいたでしょう。しかしこのAT機から始まったスロットブームにより、間違いなく加速していったわけです。

華々しいスロットのブームの裏側で、そういった「闇の部分」が確実に広がっていきました。

この頃の私は出玉ばかり派手になって勝ち負けに運の要素が強く絡み過ぎた実情に疲れて、沖スロにハマっていました。

休みは新宿のエスパススロット館の地下に篭り、朝から晩までシオラーを打ち続ける日々・・・完全なハイビスカス中毒と化しております。

実は私、ミリオンゴッドは1000円分しか打ったことがありません。

初打ち(まだ超絶爆裂機とわかって無かった)で、投資1000円で7揃い。「おぉ!」と思ったらそれが小役(ミリオンゴッドは小役図柄も7)と知ってムカついてやめました(笑)

今思えば、それはかなり幸運なことです。ミリオンゴッドに触れてしまうと、少なからずスロットとの付き合い方が変わってしまってたでしょう。

ATの時代からSTの時代へ

スロットでの借金や、中には自殺までする人まで現れたことで事態を重く見た警察庁(パチンコ関係の元締めは警察庁です)は、ミリオンゴッドの検定取り消しを検討したそうです。

しかしアルゼとしては大ヒットした商品を「はいそうですか」と無かったことにはできません。アルゼは「なんでミリオンゴッドだけ取り消しなんだ。金太郎やアラジンも同じではないか」と主張します。

その結果、警察庁は「AT機全体」に規制をかけることを決めます。そうして徐々に、爆裂ATはなりを潜めていきます。

そこで代わりに覇権を握ったのが「ST機」というシステムを搭載した機種です。

ボーナスとは別のATで出玉を稼ぐATに対して、ボーナスそのものを「ストック」し、何らかの契機で連チャンして「放出」するシステムです。

代表的な台としては「吉宗」「押忍!番長」でしょうかね。どちらもAT時代にはパッとしなかった「大都技研」の機種です。(シェイクファンの方すみません)

これがまた面白ぇ・・・しかしながら私は吉宗を封印します。なぜって?面白すぎるからです。

この頃になると私は1つの真理にたどり着いています。それが「面白過ぎる台はヤメ時にヤメられないから勝てない」という理論。スロットは勝てたときだけ楽しいんです。

もちろん意思も立ち回りも堅い方はそんなことないでしょうけど、私はブレッブレですから。ほどほどに楽しめる台を勝てる立ち回りで打つ。それが私の信条でした。

しかしそれを覆す台が現れてしまう・・・

最大の怪物「北斗の拳」

王者の座を完全に奪われたAT機。しかしそのATは最後に、最大の怪物を生み出してしまいます。それが「北斗の拳」です。

AT機、そしてAT時代を創ったのはサミーです。やはりAT時代を締め括るのもサミーでした。

この北斗の拳はミリオンゴッドほどの出玉性能はありませんが、簡単に言えば「ATとSTのいいとこ取り」のような台でした。

始まったらいつまで続くかわからないドキドキのATに、北斗の拳のバトル要素がうまく噛み合った上で「ラオウ昇天」というプレミアが最高にマッチした結果、スロット史上最大の設置台数を更新します。

獣王でもミリオンゴッドでも成し遂げられなかった「打倒カエル」を果たしたのは、一子相伝の暗殺拳だったのです。

この台が滅茶苦茶面白くて私は完全にドハマりしました。元来「ヒキ」と呼ばれるものが最弱な私は、ラオウを倒すどころか10連を超えることすらほぼなく、それでも「次こそは・・・次こそは!!」と追い続けます。それはもう、収支なんか度外視で・・・

当時20代も中頃に差し掛かった私は、転職して間も無く忙しい毎日でした。そんな中でも時間があれば北斗・・・の毎日でついにその日が訪れました。

「はじめてのしょうてん」です。いやぁ嬉しかったなぁ・・・しかしその記念すべき初昇天は、なかなかに派手でした。

20連を超えたら昇天ほぼ確定です。(ストック切れの場合のみ通常END)ついにそのハードルを超えた私は内心では北斗祭りでした。北斗が好きすぎてクレーンゲームの機種のミニチュア貯金箱を1万円使って取ったこと、原作を通して読んだことがなかったので漫喫で全部読んだこと、色々な思いが胸を巡りましたが態度には一切出しません。この頃「初昇天」は言うなれば「ハタチまで童貞」のようなもの。

軽々しく態度に出せば「えっ?お前まだだったの!?」という驚きとからかい半々で煽られることは免れません。

そうやって平静を装って打ってる昇天確定の私のバトルボーナスが・・・終わらない。

20連どころか「大爆発!」の30連を超えても終わる気配がありません。心の叫びも「もっと続け!もっと続け!」から段々と「もういい・・・もういいんだ!」に変わっていきます。

スロットブームは1つの副産物を生んでいました。それが「ゴト」と呼ばれる「不正行為」です。何らかの方法で意図的に当たりを引いたり継続させる集団などが大問題となっていたわけです。

私のバトルボーナスは既に不自然な連チャンのレベルを大きく超えていました。後ろを通る人は液晶の連チャン数を2度見していきます。

「不正を疑われたらどうしよう」と思っても、私にできることは目一杯台から体を離して打つことくらい。「もう終わってくれ」という私の思いとは裏腹に連チャンは続き・・・「次の一撃が我ら最後の別れとなるだろう」が訪れたのはなんと90連目のことでした。

この記録は私の仲間内では当然トップで、これ以上の連チャン数は聞いたこともありません。

この話は更に続きがあって、終了後即ヤメしようと思っていたのですがまさかの1G連・・・非常に薄い確率の「前兆スタート」を引いていたのですが、「これはすぐに終わるだろう」とタカを括っていたらまさかの連続昇天。結局25連続いたこのボーナスを合わせて実質115連で私の修羅場は終了しました。

当然万枚越え。私は生涯で8回の万枚を経験しており、これが8回目の万枚だったのですが1番記憶に残る万枚となりました。

4号機の終了。時代は5号機へ

盛者必衰の理とはよく言ったもので、ATから覇権を奪ったSTにも終わりが来ます。

結局ATと変わらない爆裂性能を持つSTは規制の対象となり、完全に禁止されてしまいます。

5号機時代の到来です。

派手な出玉はことごとく禁止、それまでの4号機を知る人間からしたら「つまらない時代」になってしまいました。

私も私生活の劇的変化も手伝って次第にスロットから離れていき、現在に至るところです。

細かく書けば5号機でも色々な出来事があったのですが、激動の4号機時代に比べればさもない事で・・・

例えるなら三国志の終盤でしょうか。五丈原以降くらいのイメージかな。

孔明を亡くして魅力を失った三国志の物語同様、ATやSTを亡くしてスロットはほぼ完全に魅力を失いました。

ARTというものも生まれるわけですが、所詮は弱体したATなわけで・・・

強いて言えば「初代エウレカ」はよく出来ていたと思います。

最後に

非常に長い上に完全な自己満足な記事となりましたが、書き始めたら止まらなくなりました。

現在は本当に嗜む程度になったスロットですが、私の青年時代はスロットと共にあっただけあり込み上げて来るものがありました。

こうして幾つもの時代を築き変遷して来たスロットですが、その存在そのものが危機に立たされています。

しかし私はそれでいいと思っています。制限につぐ制限で出玉での華やかさを失ったスロットは、現在では演出の派手さのみでその威光を保っているように見えます。しかしそれは中身の伴っていない見せかけだけの威光です。私から見れば虚しさ以外感じられません。

ブームによって広がりすぎた市場は、ブーム終焉後もその広さを維持するために色々な工夫をされて来たことと思います。

しかしそれによって更に還元率は低下し、店側との駆け引きを楽しめるレベルでは到底ありません。

そういったことから、かつて多くの時間を費やした私でもその存在の消失も仕方なしと思えてしまうわけです。

私は今後、今までの人生で忘れらない台「スロットオブマイライフ」を選んで実機を購入しようと思っています。そしてそれで時々遊んで、思い出すでしょう。

 

「かつてのパチンコ屋には、確かに夢があったんだ」

 

非常に長い記事になってしまいました。最後まで読んで下さった方には感謝致します。ありがとうございました。


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